彼の名前はM君。クラスの隅っこで、いつもおとなしく過ごしていた彼の存在は、私たちの学校生活においてひとつの謎だった。背が高くて細身で、目元にはいつも控えめな優しさが漂っていた。その彼が、セーラー服を着た私たち女子に罵られて悦びを感じていたなんて、誰が想像しただろうか。
あの日の放課後、廊下を歩いていると、偶然にも部室のドアが少しだけ開いているのを見つけた。好奇心から覗き込むと、そこにはM君がいた。彼は一人で、何かに夢中になっているようだった。セーラー服を着た私たちの姿が映った写真を手に取り、その表情は一瞬にして変わった。普段の控えめな彼とは違う、何かを渇望するような眼差しがそこにはあった。
その瞬間、私は理解した。M君は私たちに罵られることを望んでいたのだ。彼の目に浮かぶのは、痛みと悦びが交錯する複雑な感情。罵られることで、自分の存在が認められると感じていたのかもしれない。そんな彼の姿を見て、私は何かしらの哀れみと共感を覚えた。
私たち女子は、その後も彼の望む通りに罵倒の言葉を投げかけた。最初は戸惑いもあったが、次第にそれが彼にとっての救いであることを理解するようになった。彼の眼差しは、次第に柔らかく、そして確信に満ちたものへと変わっていった。
今でも、彼のその眼差しを思い出すと、胸が締め付けられるような感覚が蘇る。彼にとっての「罵られる悦び」とは何だったのか。私たちには理解しきれない部分も多いが、それでも彼が少しでも幸せを感じていたのなら、それでよかったのだと思う。